13・14で沖縄に行ってきた。
ハードワークを信条とする私にとって、2日間休むことは奇跡に近いのだが、感覚的に多くのことを学ぶことができた。

普段から「四季」を感じることなく一年が過ぎ、また新たな一年が来る。
そこからくる弊害は、自分レベルで人生観や志事観を持ってしまうことである。
沖縄の海を眺めて素朴な人々と会話をしながら、忘れていたことを思い出したような気がした。
それは、「地球から見れば私は一人の人間にすぎない」ということである。
自然の中では「金」「時間」「義務」「権利」などは存在しない。
人間の「欲」で作り出したそれらのものが、ただ与えているだけの「自然」を破壊している。

「金」だけ得ようとするのであれば、容易いことである。
でもそうやって生きてきた人間の最期は、ここで言い表すことができないほど寂しい。

相続や経営コンサルタントを志事にしていると、様々な人間模様を見ることになる。たいていの場合が淀んでいて親子でも信用できないという具合だ。自分が育てた子供を信用できないって、自分のことも信用できないと言っているのと同じようなものだが・・・。

人間としての「指針」をどこにおくべきか?
これからの「生き方」のヒントが今回の旅にあったかもしれない。
できれば、屋久島の縄文杉と向き合って、自然の一部でも感じたいものだ。